『サバニトリップ 2011』 



沖縄本島 ~ 与論島 ~ 沖永良部島 ~ 徳之島 ~ 奄美大島 宝島 ~ 悪石島 ~ 口之島 ~ 屋久島 ~ 種子島 ~ 宮崎
総走行距離:805.2km
総走行時間:104時間20分
航海日数:31日(内、時化や台風での停滞16日)

これを書くきっかけは、航海に興味を抱く人たちが出て来て、何かの役に立ってくれればという思いからだ。ただ、いざ書こうとすると参考とする内容がないと気づく。私の場合、特別な訓練を積んでいるわけでも、航海に関してのさまざまな知識を有しているわけでもない。もしかしたら、このことが最も参考になる情報なのかも知れないが。 そうした私でも伴走船無しで航海が出来ているのは、クルーに助けられているのはもちろんだが、自分たちが持っている能力を把握し、その範囲内で行動する。決して無理をしないからなのだと思う。 私たちが航海している一日は、365日のたった一日の海況を見ているに過ぎない。海の表情は刻々と変化し、二度と同じ環境はない。渡れる自信が持てない。もしくは判断がつかない時は躊躇なく停滞する。停滞した日は、もしかしたら安全に航海できたのかも知れない。出るべきか停滞すべきかは、航海者にとって最も悩ましく、だが否が応でも決断しなければならない。サバニはシーカヤックと違って複数の人がひとつ舟に乗る。比べられるものではないのかも知れないが、たまに単独で決められるシーカヤックがうらやましく思えてくる時がある。同じ箱の中で楽しい仲間と時を過ごせる喜びに比べたら些細なことだが、、、

6月28日(火) 旅1日目

沖縄本島 ~ 与論島
中潮/晴れ
風 : 東南東 4~6m
波高 : 1.5m
出発地: 沖縄島本部新港
到着地 : 与論島 ウドノスビーチ

出発時刻: 8時20分
到着時刻: 19時05分
航海時間: 10時間45分 90%漕ぎ
航海距離: 79.8Km
平均速度: 7.5Km/h

本部新港は本部半島の先端にあり伊江島への玄関口。こを旅のスタートと決めたのは、次の目的地が行きやすい。という単純なものだが、少し前までは名護ビーチの予定だった。私たちの活動拠点が名護であり、車で移動すること無くスタートできることは単純にカッコいいと思ったからだ。突然変更したのは、名護から本部半島へは東風だと風裏で更に弱いから。スタートから50kmを超える距離を漕ぎだけで越えるのは避けたい。久しぶりの長距離航海のためサバニの調子も見たい。そんな訳で本部にした。天候も条件も日々刻々と変わる。計画も自ずと、当然ながら目標も予定も躊躇無く変える。それは初日から始まった。しかも出発1時間前に。伊是名島北にある具志川島(無人島)の予定を、与論島に変更した。理由は、次の日(2日目)の風が良くない。具志川島は与論島の西側に位置し、2日目の目的地沖永良部島は東北東に位置する。際どい角度を拾いながら60kmを超えなければならない。予報ではあまりいいとは言えなかった。5メートルを超える向かい風は出航を見合わせなければならない。(結果として、この判断は正しかった。もし予定通りに具志川島に向かっていたら少なくとも4日間は停滞していただろう。)本部から与論島までは約80km。いい風が吹いている訳ではないので、走りながらスピードと時計を確認し、辺戸岬を越えて与論島を越えるべきか悩む。もし「時間切れで向かわない」となると、辺戸岬手前、宜名真漁港へとなる。どの風が吹いても対応できるように、極力、沖縄本島北部西海岸の島を舐めるように進む。備瀬崎からは、伊是名島、伊平屋島~沖縄本島間の船の航行も意外と多く航路を避ける意味もある。15時の時点で与論島に向かう事を決めた。
 その理由は、クルーにまだ余力があり、辺戸岬を越えてから台風のうねりは多少残ってはいるものの、本島の壁が取り払われると風が期待できる。時速7kmで進むと、日が沈む前に到着できる。仮に、思いのほか風が上がらずスピードが出なくとも、向かうべき目的地は風裏になり大きな港もある。日が沈んでもリスクは見当たらない。天候は快方に向かっている。結果、2隻のサバニが与論のビーチに着いて直ぐに水平線に沈む夕日が見ることができた。少々疲れはしたが、初日としては、まずまずの結果だ。
昼食 差入れサンドイッチ 夕食 港近くの食堂
sabanicamp2012 沖縄本島本部港~与論島ウドノスビーチ

6月29日(水) 旅2日目

与論島~沖永良部島
中潮/晴れ 風 : 東南東4~5m(途中10m)
波高 : 1m 出発地 : 与論島 ウドノスビーチ 到着地 : 沖永良部島 和泊港
出発時刻 : 7時20分
到着時刻 : 15時10分  90% 漕ぎ
航海時間 : 7時間50分
航海距離 : 49.0Km
平均速度 : 6.4Km/h


6月30日(火) 旅3日目

沖永良部島~徳之島
大潮/晴れ 風 : 東南東 4m
波高 : 1.5m
出発地: 沖永良部島 和泊港
到着地 : 徳之島 亀徳港
出発時刻: 10時20分
到着時刻: 18時00分
航海時間: 7時間40分
航海距離: 57.5Km
平均速度: 7.5Km/h

夜明け前、雷を伴った強い積乱雲が通り、誰もが予想したとはいえ、きっちりとその洗礼を受けた。与論島からの航海中、何度かこれに遭遇した。どれも雷までは発達する事はなかったが、海で生まれた積乱雲が徐々に上空に広がり、私たちに爽やかなシャワーを提供した後、急速に拡大し、雷を伴った危険なものとなった。もしこうしたリスクを回避しようと思えば、この時期の航海は諦めなければならい程、周辺海域でたびたび発生している。運悪くそこに捕まったら、縮帆するか帆を降ろし、過ぎ去るのを待つしかない。
多くはそこまで発達する事無く、しばらくは風を伴った涼しい雨をもたらす。対処法はあるのだろうか?
雲の流れの方向は一定している。当日は東南東からの流れ、その流れの方向を注意深く見る。短い時間なら雨雲レーダーでおおよその見当がつく。はちあわせになりそうな時は出航を遅らせるか止めるしかない。
島から島への長い航海は、全く見えなかった雲が突然海上で発達するという事がよくある。こうした海上で発生する積乱雲の予想は難しく、運を天に任すようなところがある。
数年前、同じサバニ航海中、粟国島での停滞中に竜巻を伴った最大級の積乱雲を目にした事があった。最近、ゲリラ豪雨として被害をもたらしている現象は決して陸でのみ起こることではない。
横殴りの雨の中、早々にハンモックテントを畳み避難。午前6時、2時間を過ぎても厚い雲を形成し晴れる様子はない。 この時期、長くても1時間もすれば通常は晴れるものだが、珍しく大きかった。雨雲レーダーで確認しても数時間は晴れる様子はない。停滞を覚悟して簡単な朝食をとり、漁具の重なる倉庫の中に僅かなスペースを拝借して睡眠をとった。となりで行われている魚競りの声で目が覚めた。僅かに開いているドアの向こうから差し込む光から、天候は快方に向かっていることを想像できた。 時間は午前9時、直ぐに予報を開き、現在の雨雲を確認。長く連なった雨雲は、雷を伴った強い勢力を維持しつつも、沖永良部周辺の尻尾に僅かにかかっているだけだった。次の目的地、徳之島は現在すごいことになっていることを想像させた。それでも私たちが到着する頃は晴れているだろう。徳之島までは約60km。少し距離はあるが行けない距離ではない。周辺に大きな雨雲は見当たらない。出発直前まで雨雲レーダーをチェックし、後は海上で発生しないことを祈りながら、準備が出来次第出発する事にした。 次の島へのアクセスを意識して向かう先は、加計呂麻島が正面に見える徳之島母間港の予定だったが、遅い出発から、10数キロ手前の亀徳港と、最も南にある面縄港も視野に入れながら進む。長距離航海の場合、午前10時を過ぎてから出発する事は例外を除けば、あまりしない。それは「潮や風が予想通りとは行かない」という前提で、充分な余裕を持たなければならないからだ。最大の、そしてあらゆるリスクを想像し、そのリスクを回避できるシュミレーションをする。 航海はその繰り返しのような毎日だと思う。と、カッコいい事を言っているが、早い話が私は人一倍臆病者なだけだ。沖永良部島和泊港から徳之島へは方位にして40度。風は東南東、風の方向は40度を切っている。サバニの場合、ヨットのようには風上に上れないから漕ぎをプラスする。漕ぐ事によって僅かな角度でも利用できる。風の方向や強さは常に変化する。帆かけサバニの場合、航海中は向かうべき方向に真っ直ぐに進む事は殆どない。よく「保険」という名で呼ぶが、10度ほど上る。風の方向が変化しても、更に潮がきつくなっても対応できるようにするためだ。   沖永良部周辺は、北からの強い潮が走り、東寄りのうねりにぶつかり、国頭岬まではうるさい波が続く。この潮とうねりをかわすため、東南東(120度)に進む。3km程沖に出ると、潮の影響は止まり素直なうねりへと変わる。 ここから先は、潮の向きを意識しながら真っ直ぐ徳之島に向かう。徳之島南端にある面縄港を通り過ぎる頃は午後4時を回っていた。まだ陽は高く、最終目的地は微妙なところだが、明日のために少しでも距離を稼ぐため、亀徳港に向かう。  途中、岬周りの潮に捕まりなかなかスピードが乗らない。午後5時を回ったところで母間港を断念、午後6時亀徳港に到着した。
沖永良部島
朝食 :サンドイッチ 昼食 :リエットサンド、リンゴ
夕食 :ごはん、スープ、惣菜、夜光貝(差入れ)
徳之島
朝食 サンドイッチ 昼食 手巻き寿司(差入れ)、リンゴ
夕食 弁当、いのししバーベキュー(差入れ)
与論島~沖永良部島和泊港


沖永良部島~徳之島亀徳港


7月1日(火) 旅4日目

徳之島~奄美 加計呂麻島
大潮/晴れ
風 : 南⇒西南西0~4m
波高 : 1m
出発地 : 徳之島 亀徳港
到着地 : 与路島 与路港
出発時刻:6時20分
到着時刻:11時30分 90%漕ぎ
航海時間:5時間10分
航海距離:40.0Km
平均速度:7.4Km/h

水平線を注意深くみていると、潮目とその大きさは大体確認できる。東西どちら側から潮流が走っていても対応できるよう、奄美大島北に浮かぶ与路島と請島の中間に潮流を感じながら真っ直ぐに進む。本来なら、保険のために少し風上側に向かうが、徳之島から加計呂麻は更に10度ほど北に位置している。多少風の向きが変わっても、風上側に上る事は無くなった。更に、風は徐々に落ちてきている。これから先は、風より潮流による潮を気にしなければならない。このコースをサバニで渡るのは、今回で4度目となる。そのどれも強弱こそあれ、与路島南周辺で潮が走っていた。今回は大潮も重なり、ある程度の流れは覚悟しなければならない。もし、水平線に肉眼でも確認できるほどの大きな潮目が見えたら、与路水道を避けて、与路島の西を大廻りする。問題なくここを通過し、与路水道手前で素直な向かい潮の場合は、潮流の影響が少ない島側に沿って進めばいい。追い潮なら、それに乗っていく。与路島手前10km地点にさしかかっても、潮どまりだったせいか肉眼で潮目は確認できなかった。ちょうど水深が浅くなり、辺りからわずかに西から東への流れが走り始めていた。漠然と走っていると、なかなか気付かないものだが、どちらかに必ず潮が走る。と、注意深く意識していれば、わずかな潮の流れを感じることは、それほど難しいことではない。その流れは、これから徐々に大きくなるのか、そうではないのかまでは分からない。潮の時間帯から予想するしかない。基本的には「激しくなる」という前提で、分かり次第、早く、そしてコースは大げさにとる。早く察知して、大げさに対応する。単純だが最も大事なコツだ。目標物を肉眼で確認できる島渡りの場合、私はこうした流れをGPSによって確認する事はない。(出来ない。という表現が正しいが、、)GPSでコース上にラインを引く方法もある。この方法だと、潮や風向きによって、その時々の状況変化に、多くはコース上を素直に走ることがない以上、感覚的なものの方が頼りになる。 私にとってのGPSの利用方法は、スピードの確認が主な利用方法となっている。コースにミスは無かったのか、思ったとおりの潮の流れだったのか?島に辿り着いた後に確認するのには大いに役にたってはいるが、2隻のサバニは外洋では、潮もウネリも風も、ある程度は一定しているので、多少離れても大きな影響はない。島廻りになると、ほんのちょっとしたコースの違いによって、大きな差が出てくる。海峡なら尚更だ。今回その事を改めて、この加計呂麻の海峡で知らされることとなった。私が先を走り、一方は後ろに着いてくる。与路水道を前に、わずかな西からの潮を感じ直ぐに15度ほど北(与路側)に向けた。 もう一隻は直ぐに気付いて進路を変え、後ろにピタリとついてくるのが分かった。徳之島の方向(西南西)を振り返ったら、ほんのちょっと前まではなかった長い潮目が出てきた。これから徐々に潮が流れてくるだろうことが想像された。与路島までは、まだ距離があったので潮を警戒して更に上った。そのせいで風も追い風状態となり、与路島手前からは漕がずともグングンスピードを増していく。 与路水道は始まったばかりの南に向かう潮がでていたが、潮を感じてから30分足らずの時間で、既に小さな波が立つほどの激しい流れに変わっていた。二隻の距離は、時間差にして10分足らずほどの差しかない。だが、この10分の差が大きい。前を走るサバニは与路水道の潮の影響を受ける前に与路島の南に入り、浅い海域を追い風に乗って快適に進んだ。一方、後ろを走っていたサバニはどうだったか?帆をいっぱいに はらんで、更に漕いでも漕いでも一向に前に進まない。前のサバニを追うことは、水道に近づき数分毎に早くなる水道に捕まることになったのだ。多少時間的な余裕があったので、与路島に立ち寄る事にした。与路島の斜路に互いのサバニを上げた。A 「いやーきつかったねー」  B 「えっ何が?」 という具合に、わずか数分の違いで、一方は全く漕ぐこと無く快適に進み、一方は漕いでも漕いでも、前を走るサバニにドンドン離される。潮に流されまいとガッツリ漕ぐはめになってしまった。 こうした島周りや水道の回避は、「早く、そして大げさに対応する。」そのことがいかに大事かが、二隻による航海によってはっきりと現れた。私にとっては、その事が改めて確認できるし、一方は実践によって経験できる、いい機会だったのではなかろうか。シュノーケルを楽しみ、集落を探索し、昼寝をして、それぞれにたっぷり3時間、与路島を堪能し西阿室に向かう。水道は、潮の変化によって全く違う顔を見せていた。どっちに向かっていようが、長く続く潮ではない。その潮の方向を注意深く確認しながら湾の中を気まぐれに吹くゆるりとした風を拾いながら西阿室集落に向かう。出発地 : 与路島 与路港 到着地 : 加計呂麻島 西阿室 出発時刻:14時20分 到着時刻: 15時45分 70%漕ぎ 航海時間: 1時間25分 航海距離: 9.8Km 平均速度: 7.1Km 与路島から見る加計呂麻島は、島とは思えないほどの迫力でデンとそこにある。向かう西阿室集落は、見えているのか見えていないのか分からぬほどに緑に隠れ、米粒のような点でしか見えない。与路水道を越えると、波、ウネリともスコンと落ち、湖のような穏やかな湾を進む。張り詰めたアンテナをたたみ、改めて周辺に広がる島々の風景を楽しむ。明日はさて置き、取りあえず今日の無事を密かにかみしめる。西阿室は伊東さん実家があり、サバニ旅は、まず第一に、ここに立ち寄る事にしている。久しぶりのご馳走、暖かなシャワー、ボタンひとつで洗濯、畳の上で眠る。この快適さをあじわうために旅に出ているのだろうか。 朝食 : わかめスープごはん 昼食 : おにぎり フルーツ 夕食 : シャコ貝、エビ炒め、いのしし炒め、ベーコン炒め、イカ炒め、たけのこ、etc..
徳之島~与路島~加計呂麻島

7月2日(火) 旅5日目

加計呂麻島 西阿室~江仁屋離島
大潮/晴れ
波高 : 1m
出発地 : 西阿室
出発時刻: 8時00分
到着地 : 江仁屋離島
到着時刻: 10時00分
航海時間: 2時間00分
航海距離: 12.0Km
平均速度: 5.8Km/h

ここまでは風の向きもあって、ほとんど漕いでばかりの航海だった。初めて参加したクルーの中には、毎日休みなく漕がされて、イメージしていた航海とはちょっと違う。と思った者もいたに違いない。航海は、シーカヤックのように漕いでしか前に進まない時もあれば、200kmを超える距離でもほとんど漕がずに、気が付いたら奄美についていた。なんて旅もある。西阿室から80km先にある名瀬市まで一気に行くと、一隻の航海は終了となる。航海を終える前に、一泊快適なところでキャンプをすることにした。宮崎までのコースを考えると、天候が安定している今、一日でも前に進みたい。という心境になるものだが、この旅の目的は、クルーそれぞれにあるのだろうが、少なくとも私の場合、何かにチャレンジすることでも誰かに伝えたいことでもない。単純に、楽しい仲間と魅力的な島を渡って歩きたい。ただそれだけだ。ニシアムロからカケロマ島西に浮かぶ無人島、エニヤバナレまでは約10km。 カケロマ島南側は外海に面していながら、与路島、請島、須子茂離島、夕離島が点在し、天然の防波堤となって湾を形成している。その先に目指すエニヤバナレ島がある。 濃い緑、手付かずの景色は雄大で、入り江の対岸には港もない幾つかの小さな集落がひっそりと佇む。人の暮らしの本当の豊かさを厳しくも豊かな奄美の自然が育んできたのだろうか。そのひとつひとつの集落にどんな魅力的な歴史が秘められているのだろうか。こうした村々を、いつか時間のゆるす限りまわってみたい。
朝食 : 豚しょうが焼き、ごはん、わかめスープ
昼食 : ペンネ・満名ベーコン入ぺペロンチーノ
夕食 : 唐辛子入りカレー、きゅうり、コーヒー、焚き火焼きパン
加計呂麻島西阿室~江仁屋離島
江仁屋離島

7月3日(火) 旅6日目

 

江仁屋離島~今里 中潮/晴れ
風 : 南西4-5m
波高: 0.5m
出発地 : 江仁屋離島(えにやばなれじま)
到着地 : 奄美大島 今里港(宮崎組)
出発時刻:5時20分
到着時刻:9時10分
航海時間:3時間30分
航海距離:27km
平均速度: 8.1Km/h
宮崎組 (指南広義号)  江仁屋離⇒今里
奄美組 (アスク号)   江仁屋離⇒奄美大島名瀬 旅終了
ここから先、二隻のサバニは二手に分かれる。アスク号は名瀬市に向かい、今年の航海は終了となる。指南広義号は、さらに宮崎に向かう。次への目的地、宝島へは名瀬市からだと風の向きが若干上りになる。距離は名瀬市からの方が近いが、多少距離は伸びても、角度を優先したほうがリスクは少ない。 そこで指南広義号は、20度ほど上った今里をスタートとした。私は、江仁屋離島からはアスク号に乗換え名瀬市に向かった。サバニを斜路に上げ、フェリーの手配をすべく、照り返すコンクリートの上を歩いていると、めまいがして倒れそうになった。日差しは同じなのだろうが、海の上では一日中舟の上にいてもこんなことはない。明日からいよいよ、私自身未経験の黒潮のトカラに入る。明日の予報は、風が上がるようだ。まずい事に、時間そして日を追うごとに更に上がりそうだ。 明日出発できなければ、しばらくはここで停滞となる。同じ停滞するなら、ここより宝島の方がいい。ハードな状況は覚悟の上で、悩んだ挙句、出発することにする。風が上がれば、その分スピードは出る。今までで最も厳しい条件での出発の決定をした。トカラの波を超える。ということは、この程度の条件をクリアーできなければ、この先の海峡も難しいということだ。前日、状況説明を皆で確認した。
朝食:わかめスープごはん
昼食:とうふ、サンドイッチ
夕食 : 巻き寿司
江仁屋離島~今里

7月4日(火) 旅7日目

今里~宝島 中潮/晴れ
風 : 西南西 10m
波高 : 3-5m
出発地 : 奄美大島 今里港
到着地 : 宝島 前篭(まえごもり)漁港
出発時刻:5時20分
到着時刻:15時00分
航海時間:9時間40分
航海距離:104Km
平均速度:10.8Km/h
最高速度:25.7Km/h (13.8Kt)
4時 起床
5時20分 出発
暗闇に包まれる港の中を進み最後の防波堤を越えると、星明かりで海面が肉眼でも見える。今里の小さな湾を超え、リーフを超えた辺りから、昨日までは無かった波長の長いうねりが入っていた。奄美大島南西端にある、曾津高崎から今里までは10km程離れている。それでも外洋に出ると長い潮目が出来ていた。風はまだ上がっていない。ここで風が上がっていたらキツイだろうなー。そんなことを想像させた。今里から宝島へは、方位にして350度。風が上がらないうちに更に20度ほど上る。もし黒潮の影響が入るとしたら、横当島と宝島との間の西から東への流れとなる。風の方向をより有利にすべく、風がまだ上がらないうちに角度を稼ぎ上がってきたところで、仮に思いのほか風の方位が悪くても、一気にスピードに乗って宝島まで行く。2時間ほど上った午前7時過ぎ、徐々に風が上がってきた。水平線に霞んだ横当島の山が見えてきた。目標物が無いときはコンパスを頼るしかないが、目標物がはっきりしてくると視線を下に落とすこと無く、波も事前にかわせるので、操船はより楽に、そして安全になる。横当島と宝島の色がはっきり見えだしてきた辺りから、波と風は更に上がり、崩れた波がサバニにも何度か入るようになってきた。これから更に上がってくるだろうと想像できた。これ以上荒れたら、今までのように崩れた波が力なくサバニに入ってくる程度ではすまなくなる。またその状況は時間を追うごとに、宝島に近付くほどに、確実に大きくなってくる。予想以上の海況になる事は間違いない。距離はまだ半分も来ていない。エンジンのないサバニは、引き返すことも、どこかに避難することもできない。宝島に向かう。その一点しか選択の余地はない。角度の充分な保険を貯めたため、たとえ潮が走っていても乗り切れる。ここからは真っ直ぐに宝島に向かう。荒れた海況では何にも対処できない。その前にやっておく事は無いか?今やれる事に考えをめぐらせる。舟の挙動をよくするため、また追い波に突っ込まないよう、バウ(船首)に入っていた荷物を中心寄りに移動、重量バランスをよりシビアにした。崩れた波の力によって、サバニから振り落とされる事が心配された。サバニは今まで経験したことが無いスピードで走っている。落ちたら二度と見つける事ができないだろう。ウシカキとアトユクンツの間にロープを張り、風下側は、そこに足を絡ませ、または手でホールドして、万が一大波に体ごと洗われても持ちこたえられるようにした。 一番前と後ろの席だけは、このロープに頼る事ができない。前に位置するアキラに、常に波側に坐り、大きい波が来たら下に避難するか、マストに掴まる事を指示。私は?スタン(船尾)はバウより波の影響は少なく、私が舟から振り落とされるような状況なら、その前に舟がひっくり返るか水船になるに違いない。と言うわけで、考えてもいいアイディアが浮かばなかったので特別な対策はしなかった。大量の海水が一挙に入っても対処できるように、スタン側の座席にバケツを準備、更に全座席の足下を空け、その下にユートゥイ(あかくみ)を準備。これにより、5人が一度にくみ出し作業ができる。 10ノットを超えても、漕ぎを止めること無くスピードを上げる。スピードによって波をかわし、それでもかわせそうも無い波が来たら、ラダーとエークによって舟を立て、大波をやり過ごす。 それでも何度かバウが波に突き刺さり、波高部分だけがバウデッキを越えてくる。ダイナミックなバウからの波は、体への振動や見た目より海水量が少ない。直ぐに汲み出せることが分かると、リスク回避のチョイスがまだ残っているので少しは安心する。荒れる前に、バウ側から荷物を移動したのは正解だった。 横当島と宝島との間までくると、海況は更に荒れ、360度真っ白な海原が続く。この辺りから多少の潮の影響を感じたが、向かうべき方角、風、共に保針には全く問題ない。 ダイナミックにして爽快な、波 波 波。サバニを超えて入ってくる波によって、5人が慌てて水汲みをする回数が徐々に増えてくる。その多くは横波によるものだった。5人全員が水汲み中に同じ程度の波を食ったら、恐らくサバニは浮力を失い水舟になるだろう。大波を連続で食わなかったことは幸いだった。こんな海況で満水になったら、汲み出すことなど不可能だろう。水汲みが一段落しても後ろに残ったわずかな水も、次に備えて私だけは神経質に汲み続けた。強風によってマストが折れる心配もあったが、今となっては縮帆する余裕はない。縮帆するには舟を立て、風を逃がし、大揺れする舟の上で二人が立たなければならない。更に落ちたスピードによって、崩れ波が対処できない程に入ってくるだろう。 宝島の前篭港は北側に面している。西廻りで向かっているので、そろそろ東よりに進路を取りたいところだが、それだと、崩れた波をかわすために直ぐには対処できない。波の合間合間で少し進路を変えつつ、そのまま上り続ける。波と宝島が直角になったところで、思い切って宝島に船首を向けた。岬の手前は更に波が上がっている。沖に逃げようにも状況は何ら変わらない。沖に逃げたら逃げた分だけ、強風の中向かい風を漕ぎ進めなければならない。このまま宝島に進むしか方法はない。追い風と追い波によって、サバニは時に信じられないスピードで滑空する。覆いかぶさるような追い波は、スタンにいる私を追い越し、確実に入ると思った瞬間、その波に押し上げられ、舷側の上をギリギリかすめ通る。と同時に、サバニは波に乗り、ありえないスピードで滑空し、前にそびえる山に向かって突っ込む。 もし安全が保障されているならば、スリルがあって、これほど楽しい遊びはないのだろうが、残念ながら、肝心な安全が保障されていない。失敗は許されない。進路を港に向けた瞬間から、「とりあえず、かわした。」と、多少の余裕が生まれた。それは、もし沈しても、水舟になっても、流される方向は島に向かう。遠回りでも、沖へ沖へと向かったのは最悪のリスク回避からだった。追い波はラダーの利きが悪く、最悪の場合、転覆する恐れがある。ところが、サバニはそのリスクは少ない。ラダーの他に、強力なエーク(櫂)による方向変換ができるからだ。それがたとえ大きい追い波でも対応できる。鷺ケ崎(サギガサキ)をかわす辺りから、まだかまだかと、目を凝らして探していた前篭(マエゴモリ)港沖の防波堤が見えてきた。2度3度の波長の大きいウネリをかわすと、波もストンと落ち、さっきまでの波がウソのように穏やかな海面となった。クルーの一人が「今まで大嫌いだった人工物が愛しく見える」という表現をした。白状すれば、私は今回に限らずいつも感じる感情だ。海を越えてくる航海者にとって、港はいつの時代もオアシスなのかも知れない。
朝食 : サンドイッチ
昼食 : 船上:バナナ 到着後:サンドイッチ
夕食 : ペンネ満名ベーコン入ペペロンチーノ
奄美~宝島
宝島前籠港


2011年7月4日(火) 旅7日目(2)

トカラ列島 宝島 宝島到着 長い戦いを終え、サバニもクルーもずぶぬれ状態で港に入った。直ぐに幾人かの人たちが来てくれて、サバニの陸上げを手伝ってくれた更に、キンキンに冷えたビールやお茶などを頂く。辿り着いた安心感、やり遂げた達成感、そしてこんな時に出てしまった反省、素直に喜んでいいのか分からず口数が少なくなる。 後で知ったことだが、入港早々に差し入れしてくれた人は大きな海運会社の会長で、クルーザーで釣りに来て、時化で足止めになっていた。 私たちが港に着いた早々に、「どこから来たの?」「奄美の今里です。」「えーこんな舟でー!」。停滞していたその船は、50フィートクラスの豪華クルーザーだった。 キャンプ場に行き、風裏とはいえ、島の両サイドから入って来る波を見て考えた。この海を越えて来たことは、決して誇れることではなく、天候の予報に甘さが露呈した結果に過ぎない。無事に辿り着いたとは言え、出てはいけない時に出たと猛省しなければならないと。  もし、今回誇れるものがあるとすれば、準備に誤りが無かったことが証明された事だろうか。 昨年からの装備も可能な限り補強した。それでもマストの下部が、くの字に曲がってしまった。充分に補強したと思えた部分でも、想像以上の力が加わる。決して気を許していけない。それを、身をもって経験できたことは、これからの準備にとっては大きな成果だった。
(予談)私は、どうして前篭港へ波と風裏になる東回りを選ばず、西を回ったのか? 数日後、2隻のヨットがここに寄航した。コースは当然のこととして東からアプローチした。当日の風は西南西。多少落ちたとは言え、私たちと同じ方角だった。荒木崎はその地形と、南東方向に伸びるリーフによって荒れることは容易に想像ができる。恐らく、ヨットは宝島南東にある荒木崎から距離を置いて、大廻りで宝島東から入ってきたと思われる。ヨットに限らず、船は殆ど何の疑問もなくこのコースをとるだろう。だが、そうするためには向かい風を覚悟しなければならない。ヨットは、かなり沖から帆を降ろして港に入港してきた。残念ながら私たちにはエンジンはない。
荒木崎を大廻りで越えた後、10メートルを越える向かい風の中を漕ぎ進めなければならない。向かい風の中を漕ぎ進めるときのサバニは、8人が束になっても、たった一人乗りのシーカヤックより遥かに劣る。こうした理由から西のコースを疑いもなく取った。では、帆かけサバニで東回りはできなかったのだろうか?恐らくできたと思う。荒木崎を大廻りしながらも波の状態を注意深く進みながら、なるべく前篭港に最短で向かい、向かい風になった時点から縮帆して、漕ぎを合わせてジグザグで進み、時間をかけて向かうしかない。 時間は遥かに東の方がかかるだろう。更に、荒木崎周辺は、あのコンデションでは相当に荒れていたに違いない。どちらがより安全か?あらゆる選択を検討し、よりリスクの少ない方を選択する。 私は西が、より安全と判断した。実際はどちらが正しいかったは分からない。だが、コースはそれぞれの舟の持っている機能によって、選択は一様ではないことだけは確かなようだ。
宝島
宝島 荒木崎
地図:日本の島を行こう より
地図:wikipedia より

7月8日(火) 旅11日目

宝島停滞 4日目
小潮/晴れ
風 : 10m
今日、二隻のヨットが屋久島に向けて出港していった。だが、この風で出る勇気は私にはない。気圧配置では、まだ安定しそうもない。遠い南海上には、雲の塊が複数集まりだしていた。熱低になり、台風に可能性が高い。もしかしたら、ここから一歩も出られないうちに、台風の影響を受けるかも知れない。いつになったら出られるのか?
目的の日南市に辿り着けるのだろうか?クルーそれぞれが、この日ために無理を押して休みを調整してきている。中には仕事を辞めて参加している人もいる。前進できなくとも「旅を楽しむ」という基本的なスタイルが、無意識の内に変わってきているように感じた。目的地が遠い分、時が経つほどに難しい事は、この数年の経験から誰が言うまでもなく皆知っている。前への意識が強くなると、日々の暮らしが味気ないものとなる。宝島という魅力的な島にいる。このことが、とても幸せなことなのだと思える心境にならなければならない。更に言えば、クルー皆が、「前に!ゴールへ!」の意識が強くなると、判断を下す私が意識しないところでプレッシャーとなって、間違った判断をする可能性がある。ここ(宝島)へ来た日のように、、皆が集まったタイミングを計って、今の状況説明をした。しばらくは出られないこと。南海上に複数の雲があり台風になる可能性があること。このまま風がおさまらず次から次と台風の影響が出そうなら、最悪その前に、ここから奄美にフェリーで帰る選択もありうること。旅の予定は約1ヶ月。まだまだ始まったばかりだ。行けると本音では思っていても、あえてネガティブなことを伝えた。ゴールはあくまでも目標であって、達成しなければならない目的ではない。伴走船を伴わない私たちの旅は、安全こそ最優先しなければならない。それには、常に精神的にも平常心を保ち続けなければならない。

宝島停滞 7日間



7月12日(火) 旅15日目

宝島~悪石島
中潮/晴れ
風 : 東南東5-6m
波高 : 1.5m 出発地 : 宝島 前篭(まえごもり)漁港 到着地 : 悪石島やすら浜港 出発時刻: 5時20分 到着時刻: 12時00分 航海時間: 6時間40分 航海距離: 53.0Km 平均速度: 7.8Km/h 最高速度: 15.2Km/h 宝島停滞7日にして、出港。  数日前にヨットが屋久島に向けて出て行った。 では私たちも!と、はやる気持ち抑えながら今日まできた。 目の前で繰り広げられる大きな潮目を前に躊躇していた。  ここまで来た時の体験がトラウマになっている。と言えば、もしかしたらそうなのかも知れない。 潮は、小潮から中潮に代わり、条件としては徐々に厳しくなってくる。 だが、風が落ちたせいか潮目は小さくなっているように思える。 ここは、時間帯によって全く違った顔を見せる。すごい海だ。今なら、最も高くなっている潮目に突入しても越えられると思える。 15km先の子宝島の港は、北北東に面している。 東に大きく迫り出したリーフと小さな無人島がある。 波が無いことを注意深く確認しながら、その間を進む。  午前7時過ぎ、子宝島を前に皆に提案した。 このまま予定どうりに小宝島に行くか? それともここをやり過ごし悪石島まで足を伸ばすか? もし悪石島に行くとしたら到着予定は昼ぐらいになるだろうことも伝えた。 皆、直ぐに「行こう 行こう!よし!やるぞー!ヒャッホー!」。返ってくる言葉は分かっていた。  潮も風も波も思った以上に上がっていない。 微風ながらも漕げば着実に距離は稼げる。 急がず休まず着実に前に進む。 久しぶりの海はやはり気持ちがいい。 悪石島が目の前に迫った昼前に、もう一度提案してみた。このまま悪石島に行くか?更に諏訪之瀬島まで足を伸ばすか? もしこの調子で諏訪之瀬島まで行くとなると4時頃には着けそうだ。と付け加えた。  私は当然ながら、「行こう!」となると思ったが、久しぶりに6時間の漕ぎが堪えたのか、それとも悪石島を前にして寄りたくなったのか? 直ぐには返事が無かった。  ちょっとの間を置いて 「ここでいいんじゃない!」 「了解!悪石島に行きます。」 言うと同時に、港に向けて進路を取った。 この間の海流は、まだ意識するほど流れてはいなかった。もし風が全く無くても、漕ぎだけでも充分に渡れるだろう。 個人的には、もうひとつ渡りたかったが仕方がない。 ここまでは50kmちょっと、ここから諏訪之瀬島、中之島、口之島と、まだまだ距離がある。 南には、熱低から発達した台風がゆっくりと北に向かっている。 まだ影響がない今、一島でも前に進みたかった。 が、この状況は皆知っての判断だろうから、ごり押しはしない。 ここで私が、海況が落ち着いている今のうちに頑張って諏訪之瀬島まで行こう! と言えば、そのまま行っていたかも知れない。 だがそうなると、私が全ての決定をし、クルーはその判断に従う。という構図が出来上がる。  私に、それほどのカリスマ性もなければ判断能力があるとも思えない。 皆が停滞した方がいいと言えば、それは、目には見えない絶対的な船長が判断したものとして受け止める。 悪石島は断崖絶壁に島だ。港の中は、狭い敷地内にコンクリートを作るプラントがあるだけで、ここからは見える民家は一件もない。 民家のある集落まで行くには、急坂を登って30分はかかるという。 誰もこの集落まで行こうとするものはいなく、明日に備えてここで雑魚寝する。

朝食 : パン
昼食 : 到着後おにぎり
夕食 : バジルペンネ
有川浩一さん(宝島で出逢った漁師・秀光さん紹介)から、酒の差入れ。ペットボトルも凍らせていただく。
宝島~子宝島(通過) 悪石島島に到着

2011年7月13日火曜日 旅16日目

悪石島~口之島 中潮/晴れ
風 : 南東3~8m
波高 : 1.5m
出発地 : 悪石島 やすら浜港
到着地 : 口之島 西之浜漁港
出発時刻: 5時10分
到着時刻: 13時40分
航海時間: 8時間30分
航海距離: 73.5Km
平均速度: 8.6Km/h
最高速度: 16.7Km/h

黒潮の影響は、ここまでそれほど感じることはなかった。ここから徐々に流れがきつくなることを警戒して、諏訪之瀬島の西に進路を取る。いい感じで風も上がり、順調に進む。5時頃出港して7時過ぎには諏訪之瀬島手前に、皆に断るまでもなく、そのまま次の島、中之島に向かう。風は南東。潮は西から東(多分)。こういう時のコースが難しい。諏訪之瀬島から中之島までは、若干東に寄っている。風で言えば上り。風を警戒して東に上り、思いのほか、潮がきつければ上りになる。諏訪之瀬島の港は島の中心、南西に位置している。口之島へのアクセスの可能性を残しつつ、諏訪之瀬島の港に真っ直ぐに向かう。ここに来て、まだ強い潮も感じていない。黒潮本流は屋久島側に寄ったり、宝島側に寄ったりで、その時々で大きく蛇行しながらその本流を変える。今は、屋久島側に寄っているようだった。
  諏訪之瀬島と中之島の中間地点(午前9時)に来て皆に提案した。今日の寄港地を中之島にするか、それとも口之島まで足を伸ばすか?中間地点でその提案をしたのは、ここから向かう方向によって進路が変わるからだ。もし口之島に行くとなれば、ここから先は中之島西に進路を向けなければならない。 風が上がっている割には波は上がっていない。出港してから、まだ4時間しか経っていない。皆、当然ながら「行こう」となる。中之島、西端に数隻の漁船が漁をしていた。アンカー下ろしているが、船首がそれぞれ違っていた。初め、流し釣りでもしているのかと思ったが、いずれもアンカーを下ろしていたので、潮の影響と言うことが分かった。この辺りの漁船は、スパンカー(後ろ側に立てる帆)が付いている船が少ない。風に船を立て安定させるためのものだが、宝島で会った漁師に何故付けないのか尋ねると、潮がきつく、かえって邪魔になり危険な時もあるので付けない。と言っていた。これを見て、そうかこういう事なのだな。と合点がいった。
11時には、中之島をかわすところまで来ていた。この分だと、口之島まで昼には着きそうだ。ちょっと順調すぎるなー。と思っていた矢先に、南に走る強い潮に捕まってしまった。南東の風は島を回り込んで更に強く押してくれているのだが、舟が前に進まない。 という、珍しい現象が起きていた。 舟を通る水流は強く、ここだけみると7ノット以上は出ている。GPSを覗くと、2km/hから3km/hの数字しか出てこない。大きな潮目は見えないから、沖まで続く流れだろうと思う。ここからはかわす選択はなく、とにかく漕ぎをプラスして時間をかけて超えるしかない。
  潮目が見えない以上、どこまで行けば止まるのかも分からない。この流れは潮流によるものなのか、黒潮による海流なのか。またその両方なのか? この時間を利用してコースを練った。
もし海流なら、中之島西の岬にぶつかった分流に捕まっていることになる。 そうなると、この分岐点を越えると、この先その流れを真横から受けることになる。 当初、海流を警戒して口之島から15度ほど上る計画だったが、想像を超える強い流れを経験したことで、南に流れている今のうちに更に西に上ることにした。
  岬から離れるにつれて流れも緩やかとなり、同時に風もガクンと落ちる。 今か今かと、分流を図るが一向に始まらない。 このまま上っていいものか? 島から離れるにつれて、遮られていた風も島を回り込んで入ってきた。 更に南東側から流れる雲の塊がある。 このまま思いのほか流れが走らず、更に雨雲による強い風に捕まったら、発達した積乱雲の強い向かい風に捕まるリスクもある。 まだ風が上がらないうちに、思い切って進路を口之島に向けた。今ならいい角度で風を拾える。中之島と口之島の間は僅かに15km。中之島から離れるにしたがって風は上がり、更に雨雲は風を伴っている。 遅かれ早かれやがて遭遇するだろう、発達過程の雨雲へ向かう。
雨雲はサバニとほとんど同じスピードで走っているかのように、うまい具合に中心を外れ、雨に捕まることもなく、風だけを拾いながら海峡を超えることができた。
口之島西之浜港手前、グノメ崎までくると、島の壁に阻まれ風も波も落ち、ここからは穏やかな海面を周辺の景色を楽しみながらゆっくりと進む。 全てのリスクから解放され、心も体も徐々に開放される瞬間だ。
今回も、突風交じりのドシャブリに遭遇すること無くやり過ごせた。 後ろを振り返ると、長くのびる雨のカーテンも消えていた。  心の中で、急速に衰えた雨雲に向かって「ありがとう」 と礼を言った。ピンポイントで美味しいところだけ頂き、スピードに乗ることができた。 言わば、私たちのために発生してくれた神様からのプレゼントのように感じられた。
  この時期の雨雲はできることなら遭遇したくはないが、緊急の場合などは、こういう利用方法もあるのだな、と何かのヒントを得たような気がした。 (注)積乱雲は大きくなるのか、縮小に向かっているか、未だ分からないことも多い。 周辺に比較的大きい雨雲が発生している時は、出航を控えるか細心の注意が必要なのだと思う。

余談

雲の流れは一定しているので、注意深く見ていると大体の時間や方向は予想できる。沖縄の夏は周辺によく発生するので、私は遊び半分で日頃から予想する癖がある。
だいぶ前になるが、名護から那覇へ約60kmを2週間、バイクで通ったことがある。
時には待ち、時にはスピードをあげながら、濡れない!を目標に通った。そして一度として雨に濡れなかった。沖縄の夏は、雲の流れと、待つ、ことを覚えたら多くの場合雨に濡れずにすむ。
午前5時10分 悪石島出港
午前7時 諏訪之瀬島
午前9時 中之島をのぞむ
11時には中之島をかわすところまで来ていた
まだ風が上がらないうちに思い切って進路を口之島に向けた
午後1時過ぎ口之島西之浜港手前、グノメ崎

地図:鹿児島県十島村より


7月14日(火) 旅17日目

口之島停滞
口之島停滞1日目

13日、口之島到着時点で長い停滞を覚悟していた。 それでも、この旅最大の海峡横断である、屋久島の玄関口まで来れたのは上出来だと思う。
予定では宝島から、まずは子宝まで行き、手探りで海流や潮目を図り、一島一島慎重に刻むつもりだった。各島々に寄ってみたい気持ちもあったが、今までのそしてこれからの長い停滞を思えば致し方ない。進めるときは一島でも進んでおいた方がいい。
14日、条件だけをみれば屋久島までは行ける海況だと思うが、到着早々、停滞を決定した。躊躇したのは、
・台風が向かっていること。遅くとも2日後には影響が出てくる。
・今日から大潮に入ること。黒潮本流の海峡に大潮が重なり、本流は分散されることなく、その中心がこの海峡にデンと横たわっている。
天気予報は、例外を除き2日間は正確に測れる。2日間の安定は、出港するに十分な条件となるが、70kmを超える今まで経験したことのない難易度の高い海峡に、もし万が一何らかのトラブルが起きて、自力で対処できない場合は、レスキューを呼ばなければならない。何があっても、最低条件としてクルー全ては生きて帰らなければならない。そのためには、少なくとも出港した日を除いて2日間、安定してレスキューできる海況でなければならない。2日を過ぎれば、台風による影響でどんな船でさえ出港できない。それは文字どうり冒険となる。幾つかのリスク回避のシュミレーションで最悪に対処できない場合、そこを無視する訳にはいかない。力は最も弱いところに集中するのと同じように、自然はきっと心配したところを突いてくる。
昨日、口之島西之浜漁港の斜路にサバニを上げると、早速に地元の人たちに囲まれた。その中の一人に永田勇さんがいた。そのお世話は、会って早々に頂いた冷たいジュースから始まり、ここでは言い尽せないほど、また、日を追うごとに激しいものとなっていく。口之島にて長い停滞にも関らず充実した日々を送ることができたのも、永田さんがいればこそだった。
停滞を決めた翌日、海況を見るために屋久島を望む「セリ岬」に行った。大きく蛇行した激しい潮目がそこにあった。小さな丸い浮きが風に流され、やがて潮目に差し掛かると急に反転して流されていった。今日もしサバニで出ていたら越えられただろうか?きっと、かなりの緊張を強いれられ、出たことを後悔したに違いない。同時に、もしかしたらここはこれが当たり前の景色なのだろうか?私だけが単にビビッているだけなのだろうか?と考えたりもした。
港に戻ると、2人の漁師から「今日は出れると思ったけど、出ないでよかったなー」と言われ、どこかでホッとした。昨日到着早々に、明日の海況を聞いていたのだった。その時のアドバイスは「明日は大丈夫だと思うよ。」だった。長年ここで漁を営んでいる漁師も予想が難しい海は、そう多くはないだろうと思う。
口之島西之浜漁港に到着
口之島北端 セリ岬
台風6号(マーゴン)接近中

7月20日(水) 旅23日目

口之島停滞7日目

まだうねりは残っているものの、海況は徐々に治まりつつある。潮も中潮に変わり、少ししたら小潮になる。できればこのタイミングで渡りたい。そろそろ屋久島への道を探らなければならない。まだ西交じりの北の風は入っているが、それも直に治まる。問題は、まだ暫く南からの風が期待できないことだ。もし風を期待しようと思えば、気まぐれな気圧配置に尚しばらくここに居座らなければならない。海と海図を見る回数が徐々に増える。潮目は明らかに小さくなっている。幾つかのリスクを想定し、コースをシュミレーションする。ここ数日、潮も波も風も、これ以上悪くなることはない。気まぐれな風を時々拾いつつ、漕いで渡れるのでないか?天候も安定に向かっている。出るなら今がチャンスと思い、前日にサバニの準備をしなければならないため、明後日22日の出港を提案した。いつもならすんなりと「よし行くぞー」となるところだが、風の向きが芳しくないため、クルーの中から待ったがかかった。向かい風の中、この海峡を渡るのは厳しいのではないか?もう少し待って風の向きが良くなってからにしては? 翌日、屋久島に最も近い岬、セリ岬に行って海況を眺めた。クルーの提案もあり、明日の出港を見合わせる。が、翌日は出港することを決めた。3日後の予想はあてにならないし、風を待っていては、尚暫くここに留まる可能性だってありうる。ベストとは言いにくいが、明日から小潮にもなる。  黒潮本流は、この間の停滞で中之島側にも分流していると思われる。今度は意見を求めず23日出港する。とだけ伝えた。
リスク回避の保険として、万が一に備え、屋久島の協力者の船へコンタクトできる環境を整えた。計画では、まず屋久島西に向かう。強い流れによって東に流されても、十分な余裕が持てるからだ。そのためには、15度ほど上った口永良部島に向かう。向かいながら、海流の強さ、方向を測り微調整をする。
思いがけず流されても、屋久島は大きい島だから、走っているスピードと同じスピードで流されても、たどり着ける計算になる。更に時間をかければ、夜を越えて種子島にだって向かえる。

ここには、夜を通して200kmを越える航海を経験したクルーが揃っている。食料、水、共に充分な備えはある。皆で海図を指差しながら、リスク回避の方法を話すと、クルーは俄然盛り上がった。話しながら、私もむしろこっちの方がいいかのように思えてくる。こうした計画が立てられるのもサバニならではなのだが、すべては天候が回復に向かっているからだ。
フリイ岳から西之浜漁港をのぞむ
屋久島へのコースをシュミレーション
地図:日本の島へ行こうより


7月23日(火) 旅26日目

口之島~屋久島 小潮/晴れ
風: 南東2-3m
波高 : 1.5m
出発地: 口之島 西之浜漁港
到着地: 屋久島 一湊港

出発時刻 : 4時50分
到着時刻 : 16時30分
航海時間 : 11時間40分
航海距離 : 81.4Km
平均速度 : 7.0Km/h
最高速度 : 15.0Km/h

朝4時
出港の準備をしていると、島でお世話になった多くの人たちが港に見送りに来てくれた。まだ明けきらない港から外洋に出ても鏡のような海面は変わらず、ゆっくりとエークを指す。皆、何度も島を振り返る。ちょっと立ち寄った島とは違う、濃厚な10日間を過ごした島だ。 
屋久島まで先は長い、今のうちに気がすむまで眺めておこう。徐々に口之島の全景が見え出した。セリ岬を交わした辺りから、大きくゆったりしたうねりが入ってきた。セリ岬の突端に二つの小さな光が海に向けて照らされた。きっと永田さんとその仲間達だろう。岬を越えても流れは感じられない。幾つかの潮目を越えても、その状況は変わらない。むしろ流れは屋久島側に走っている。南東の微風はこれからも殆ど期待できないだろう。だがそのことはマイナスばかりではない。向かい風に阻まれる事ことなく、漕いだ分だけきっちりと距離を稼げる。風を受けてグングン走っている時も、当然ながら気持ちいいが、穏やかな海面を、音もなくスーッと走っていく、この感覚も私は大好きだ。
出港から4時間を過ぎた辺りで、屋久島西へコースを変える。流れを警戒して15度ほど上ってきたが、きっちりとそのコースを刻んでいる。川の流れと同じように、黒潮はその中心が最も早く、中心から離れるにしたがって緩やかとなる。口之島から北東20kmほどの所に平瀬があり、長く潮に洗われているのが見えていたから、肉眼で見える目標物をここにしていたが、ここに来てはるか後方に退き、やがて見えなくなった。ここから先、流れはピークを過ぎ大きく変化することはないだろう。屋久島と口永良部の島影が、時を追うごとに色を帯びてくる。
後ろから船が来た。 永田さんだった。朝、一仕事を終えたら船で追いかけることを聞いていたので驚きはしなかったが、予定から随分遅れての登場だったので何か予定でも狂ったのかと思っていたら、私たちのスピードが思いがけなく速かったために、どこへ行ったのか見失い、てっきり流されていると思って平瀬の方を探していたという。
コースは予め伝えてあったので見失うことはなさそうだが、無風の中漕ぎだけでここまで来ているのが、とても信じられなかったようだ。製作したてのバウにあるホースペットに乗って、子供のようにジャンプしながら、「早いなー 早いよー」と叫びながら、自分のことのように喜んでくれた。
それから4時間、屋久島西端(栗生)まで付き合ってくれた。頼みもしないのに、もうほとんど伴走船状態だ。この分だと九州まで着いてきそうな勢いだったので、引き返したのを見て、実はチョットほっとした。後で聞いたことだが、一時として休むことなく漕ぎ続ける私たちを見て、涙が出たと言っていた。 この航海を、もっとも誇らしく感動していたのは、誰あろう永田さんだったのかもしれない。
屋久島最初の目的地は南西にある栗生としていたが、屋久島南端に昼には着いたことから、もう少し足を伸ばし、更に30km先の一湊とした。ここからなら、少し距離はあるが、次の目的地、種子島西之表に向かえる。西端の永田岬からは、僅かに吹いていた南東の風もピタリと治まり、10km以上を残し、ここからは漕ぎだけで進む。屋久島の南端から北まで30km程西海岸に沿って横断したことになる。あらためて屋久島は大きい島だ。
一湊港に着くと、この旅で奄美まで一緒だった、ルミちゃんとミキちゃんが出迎えてくれた。トカラでの停滞を計算して、そろそろ屋久島に向かう頃だと、急遽休みをとって京都から駆けつけてくれた。奄美までレースを含めて10日以上の休みを取れる職場環境もさることながら、更に急遽休みを取れる職場とは、どういう職場なのだろうと不思議になるが、そう思いながらも、私の職場からもこの航海に4人までもが参加し、1ヶ月以上の休暇をとっている。あまり変わらないと言えば変らないかも知れない。
近くの温泉で疲れた体を癒し、屋久島という魅力的な島にちょっとだけ遊んで行きたい衝動にかられつつ、明日は種子島に向けて出港をする。
 風は相変わらず期待できない。多くのシーカヤッカーが、ここの海峡を横断している。無事成功をおさめている人もいれば、断念した人たちも、いずれも風などあてにしていない。この際、初めから風などに期待しないで漕いで行けばいい。
朝食 : お茶づけ
昼食 : (差入れの)おにぎり
夕食 : ラーメン、(差し入れの)巻き寿司や刺身
午前4時 口之島 西之浜漁港 出航
鏡のような海面にアウトリガーが映る
屋久島と口永良部の島影が、時を追うごとに色を帯びてくる
屋久島 一湊港へ
地図:日本の島へ行こうより

7月24日(火) 旅27日目

屋久島~種子島
小潮/晴れ
風 : 南東0-2m
波高 : 1.0m
出発地 : 屋久島 一湊港
到着地 : 種子島 西之表港

出発時刻: 5時20分
到着時刻: 16時20分
航海時間: 11時間00分
航海距離: 63.6Km
平均速度: 6.0Km/h
最高速度: 14.9Km/h

風が無ければ漕いで進めばいい!などと、威勢のいいことを言っても、正直に言うと、多少の追い風が欲しい。出港してしばらくは、少しの風があり、サバニを前に進む力になったが、日が昇ってからはピタリと止まった。 ここから延々と漕ぎに徹する。種子島は南北に長く、私たちの進むべく方向は、種子島の北にある。屋久島一湊港からは平行に進むことなる。ガスがかかって景色を楽しむこともできず、向かい潮のため一向にスピードが出ない。昼食に手を休めると数キロ戻される始末。いつかはこの潮も治まると思ったが、遂に最後の最後まで向かい潮に悩まれた。
種子島西之表港沖合いで、急に白波に洗われたのを見て、「こんなところに磯があるんだ」と思い、海図を確認したら、全くそれらしきものがない。そしてそれ以降、白波は現れなかった。うねりも波も風も全く無いところで、突然荒磯のように波が立ったところをみると、あれはきっとクジラだったのだろうと思う。
港の数キロ手前までくると、地上の熱で発生した雲が次から次と発生し、北に流れていた。こういう時、どのタイミングで港に入っていくべきか悩ましい。港の入り口までくると、強い積乱雲に捕まりそうだ。このまま港に入っていくべきか、沖合いでやり過ごすか?もし沖合いにいたとして、突風に遭遇したら北に流される。一方、港に入ってから遭遇したら視界を遮られ、漕ぎを上回る突風なら、どこかの岸壁に寄せられサバニを壊される危険がある。少し躊躇したが、このまま港に入ることにした。途中、もし突風に捕まっても流されながら港に向かえるよう、可能な限り風上側からエントリーする。その途中で、もし視界が遮られ漕ぎに勝る突風が吹いたら、風に立てアンカーをかける。港の中なら水深も浅く、アンカーが利かないことはない。更に、もし強い風によってアンカーが流されることがあっても、漕ぎをプラスすれば、通り過ぎるまでは時間稼ぎはできる。だが最もいい方法は、強い雨雲が来る前に港の奥まで行くことだ。沖の防波堤をくぐったところで、雨雲の端に捕まった。 皆に「漕いでー」と叫び、ガッツリ漕ぎで流れに逆らって港の奥に向かった。風は強かったが、雨雲が急速に衰えたのか、もともと小さかったのか、15分ほどで治まった。肉体的にも、時には精神的にも、どのコースも簡単には渡らせてくれない。このコースが最も漕ぎを要求されたコースだった。
それにしても、あー疲れたー。
朝食 : サンドイッチ
昼食 : サンドイッチ
夕食 : 港近くの南国食堂
午前5時20分 屋久島一湊港出港
種子島を横目に、延々と漕ぐ
種子島西之表港
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7月25日(火) 旅28日目

種子島~宮崎 長潮/晴れ
風 : 東南東2-5m
波高 : 1.5m
出発地 : 種子島 西之表港
到着地 : 宮崎 宮之浦港

出発時刻: 5時10分
到着時刻: 16時40分
航海時間: 11時間30分
航海距離: 87.0Km
平均速度: 7.6Km/h
最高速度: 15.3Km/h

南東の風が上がってきた。いつまで吹いてくれるのか分からないので、コースはどこへでも行けるようにした。つまり、最もベストなのは志布志湾を越え宮崎に入ることなのだが、もしスピードに乗らなかったら、志布志湾越えをあきらめ鹿児島側に向かう。都井岬に進路を向ければ、鹿児島の太平洋沿岸と平行に進むことになる。いつでも鹿児島の沿岸に向かうことができる。いい風が吹き続けてくれたら漕ぎを加えながら、最終目的地である油津まで行ける。 この海峡は船の往来が激しい。肉眼で見える船を数えたら36隻まで数えられた。もちろん漁船などは数に入れず、そのほとんどはコンテナ船だった。中には、興味範囲で近づいてきているのではないかと思える大型船もいた。悔しいが、とにかく逃げるしかない。[海上衝突予防法では、]などと言って、堂々と突っ切る勇気は私にはない。とにかく早く察知して回避行動を取る。これが外洋を走るとき、最も大事なことだと思う。
この航海では、全クルーが船を確認したら直ぐに報告することにしている。「2時の方向に何か見えます」と言う具合に。暫くすると全員が船の確認をし、進行方向を知り、早くから回避する。午後から落ちると思っていた風は、順調に吹き続けている。九州と種子島との間は海流もあって多少の波が上がっている。昼前、出発から6時間を経て中間地点に到着。大きな志布志湾の全景がボンヤリと見えてきた。太陽は真上にあり、時間はまだたっぷりと残っている。風の落ち方によっては、鹿児島側に向かう選択を残しつつ、このまま志布志湾を越えることにした。
このまま順調に進めば、日が沈む前に油津港に行けるかも知れない。貨物船は海峡の中心を走ると思って、若干都井岬寄りに進路を取ったが、船の往来は、むしろ湾に近いほうが多いようだ。湾を超え、都井岬がくっきりと見えたところから風と波がストンと落ちた。このタイミングで、舵取りをクルーの一人であるマコトに変わった。この航海で何度か経験を積ませたくて幾人かに舵取りを任せようと計画していたが、いざ出て見るとなかなかそのタイミングが計れなかった。きっと任せたらそれなりにやってくれるのだろうが、スキッパーは走りながら考えることが山ほどある。もしかしたらこれは私だけかも知れないが、10時間以上にも及ぶ航海中、一見やることは限られているように思われるかも知れないが、頭の中では常にフル回転していると言っていい。風、潮、海流、時間、現在地、コース、天候、他船、クルーの体調、サバニのコンディション等など、これらは例外なく常に変化する。劇的に変化しないまでも、エンジンのないサバニはその小さな変化に早く気づき対応しなければならない。トラブルは必ずその前に黄色信号が点滅しているのではないか?それをどれだけ早く察知して対処するか、航海に限らずとも安全に航行するために最も必要なことだと思う。 話は更に横道にそれるが、ミクロネシアに伝わる外洋航海の船長は、航海中クルーとほとんど顔も合わせず姿も見せず進路を決めている。そんな話を聞いた事がある。この航海を始める前までは、その意味を図りかねていた。だが、今ならその意味が分かるような気がする。GPSやコンパスを携行し、多くは肉眼でも視認できる距離を走っている私でさえそうなのだから、それら航海に必要な現代の機器を持ち合わせていなかった彼らの能力もさることながら、身体的、精神的疲労は計り知れないものがあったに違いない。
沖縄の海人も、戦前はサバニでトカラ海域に度々訪れていたことをこの航海で知らされた。きっと、沖縄においても優れた航海技術が育っていたに違いない。情報や近代化が早く伝わったのは、必ずしも良いことばかりではなかったのかも知れないと思えてくる。
コンテナ船が行きかう場面での舵取りの交代はタイミングとしてはどうかと思うが、宮崎を前にゴールは間近かだ。以降、交代するタイミングを失うかも知れない。コンテナ船への回避方法は口頭でも指示できる。転舵は、なぜそうするのか?実際の現場で、緊張感の中でしか理解出来ないこともある。
私自身も、絶対的な自信がある訳ではない。一瞬たりとも気を許さず、決して侮らず、多くはその度に緊張を強いられ、ヒヤヒヤしながら対処しているのが実際なのだ。その事を僅かでも見せられただけでも交代の意義大きかったのだと思う。
都井岬周辺は弱い向かい潮で、波は穏やかでも思うように前に進んでくれない。都井岬をやっと超え、午後4時を回ってしまった。ゴールの油津までは約20数km。時間にして3時間は優にかかってしまう。明るい内に着けるか微妙なところだ。 ここから最も近い宮之浦港を今日の寄港地とした。折角なので、マコトには最後まで舵取りを任せた。 
朝食 : サンドイッチ
昼食 : 南国食堂のおにぎり
夕食 : カレー、(差入れの)スイカなど

午前5時10分 種子島西之表港出港 大きな志布志湾の全景がボンヤリと見えてきた
最も近い宮之浦港を今日の寄港地とした
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7月26日(火) 旅29日目

宮崎 宮之浦~油津
若潮/曇り
風 : 南6m
波高 : 1.5m
出発地 : 宮崎 宮之浦港
到着地 : 宮崎 油津港

出発時刻: 9時50分
到着時刻: 12時40分
航海時間: 2時間50分
航海距離: 25.0Km
平均速度: 8.6Km/h
最高速度: 16.6Km/h

夜中、パラパラとハンモックテントにあたる雨の音で目が覚めた。  携帯のスイッチを入れ、雨雲レーダーで確認したら、周辺に大きなそして強い雨雲が迫っていた。既に、周辺で雲の中から鈍い光が見える。  まもなくここも雷やドシャブリ、突風を伴い、皆お祭り騒ぎになる。 その前に急いでハンモックテントを撤収し、皆に知らせ、近くの東屋に避難した。  時々弱い雨雲は通ったが、ここだけピンポイントで中心から外れた。それでも、鹿児島佐多岬周辺、そして周辺の山々で発生した積乱雲は、時に勢力を増し次から次に北東に移動している。この真っ赤な中心に、海で出会ったらどうなるのだろうか?考えただけでも恐ろしい。
涼しい雨は間断なく降り続ける。この状況の中で出港する訳にはいかない。  考えてみれば、今年の旅は度々積乱雲に悩まされた。ゴールを目の前にして、最後の最後に積乱雲によって停滞しなければならないのだろうか?それはそれで仕方がない。
ゴールまで20km。直ぐそこにある。が、もしかしたら、こんなところに落とし穴が隠されているのかも知れない。ここから更に慎重にならなければならない。
クルーには、現状の出港は危険を伴っている事、そして停滞もありうる事を説明した上で、少し冷静になってもう一度雨雲レーダーをにらみながら安全を確保しつつ、行ける方策がないかじっくりと考えてみた。
佐多岬周辺で発生した雲は、ここに到達するまで時間がかかる。油津港までは約20km。航海時間にして3時間というところか?3時間、この雨雲に出会わなければいい。雨雲は周辺で発生しているが、その雲の切れ間はウソのような夏の青空になっている。その雲の切れ間を狙って走れば、出会わずに到着できる。雨雲のスピードに、サバニが追いつくはずはない。雨雲の流れてきた後方を追いかけるようなタイミングで出航したら、安全に行けるのではないか? 雨雲の固まりは四方八方に移動している訳ではない。スピード、方向、共に一定している。
もう一度、雨雲レーダーを見る。相変わらず、九州南岸に幾つもの塊が発生している。今、周辺に降っている雨雲も、それほど大きいものではなさそうだ。南に大きな雨雲が発生しつつあった。あの雲がここまで移動してきたら、今日の出港は諦めなければならないが、ここに到着するには、まだしばらくはかかるだろう。今降っている雲の切れ間を狙って出港できるのではないか?この事に、もう少し早く気付くんだったと思ったが、雨雲は、まだ通り過ぎてはいない。 今のうちに急いで準備して、再度レーダーを確認して、もし間にあいそうなら直ぐにでも出港しよう。「とりあえず出る準備をしよう」。中には停滞を覚悟して、深い眠りに入ったクルーを起こして、早速出港準備に取りかかった。「さっきの話と違うじゃない!」と突っ込まれても仕方がない状況にも関らず、皆、文句も言わずにテキパキと動いてくれる。
準備の間にも、宮之浦から油津港までの間に避難できる全ての港をチェックした。もし、思いがけず雨雲に追いつかれそうになったら一番近い港に避難する。僅か20kmの間に、4つの避難できる港がある。キャンプサイトを片付け全ての準備が整うと、薄雲りながらも雨は晴れ、南には晴れ間がのぞいている。最新の雨雲レーダーを確認してから出港することにした。港の周辺は、大きなウネリが入っている。昨日より波は上がっているようだ。直ぐに逃げられるように海岸線に沿って走りたいところだが、南の海岸線とは違って、所々に隠れ根があり、ウネリと共に急に姿を現したりする。 初めての海域でもあり、沖を走る。周辺の雲を肉眼で確認し、10分おきに更新される雨雲レーダーを逐一確認しながら、注意深く、そして急いで進む。雨雲は更に発達し、大きな塊となってゆっくりと移動しているが、ここに到着するには、尚しばらくかかりそうだ。出港から一時間ほど経った辺りで、周辺10km圏内に雨雲はない。切り抜けた。雲の心配からも開放され、ここから先は景色を楽しむ余裕も生まれた。
湾の奥に入って行くと、2艇のシーカヤックがこちらに向かっているのが見えた。奄美まで一緒だった丸山さんと、その仲間だった。 二艇のシーカヤックに先導されて進む。 (といっても、帆の力が勝り、途中途中でカヤックが追いつくのを待ちながらの先導?だったが、、) 油津港の一番奥に斜路がある。だが、あいにく何かのイベントが催されているらしく何やら賑やかだ。 このまま、そこに向かっていいものか躊躇していた。
よく見たら、皆こちらを見ている。垂れ幕を持った人がいて、そこには 「ようこそ 日南市へ!」エッ、もしかして俺たちのこと? 私たちはこの航海を予め誰かに伝えていた訳ではない。いつものように斜路にサバニを上げ、地味にクルーだけで航海の無事を祝うつもりでいた。
何となく面食らい、こんなことなら新しいTシャツに着替えておけばよかった、などと余計なことが頭をよぎり、とりあえず成り行きに任せ花束を貰い、お祝いを頂き、幾つかの取材を受ける。歓迎されることはありがたく、この上なく嬉しいのだが、少なくとも私はただ好きなことをやっているだけだから、果たして歓迎されることをやっているのろうか?と、少し戸惑ってしまう。
この日、仲間の計らいで数キロ離れた大島にサバニを移動させて、松尾さんの別荘に2日間お世話になった。
日南市からは、丸一日飫肥杉にまつわるいろいろな場所を案内頂いた。家並みといい、深い歴史が今尚息づいている魅力的な町だった。中でも、チョロ舟は強く印象に残るものとなった。係留されているのに乗せてもらったが、サバニ同様に、長い実践の中で磨かれてきた迫力のような力強さが感じられた。いつか帆を上げたチョロ舟をこの目で見たいものだ。 余談 翌日、日南市の職員から地元の新聞を頂き、その中には私たちの到着の記事が紹介されていた。その下に漁船の遭難の記事が載っていた。遭難した船の発見場所は、志布志湾。私たちが出港した宮之浦から10数キロしか離れていない。まさに強く大きい積乱雲が通るその場所になる。あくまで想像するしかないが、この遭難はあの雨雲と関係はないのだろうか?行方不明になっている漁師の安否の無事を祈る一方、遭難の記事を見て、改めて良く無事で来れたと思う。

朝食 : インスタントラーメン、ごはん
昼食 : (サバニで)ソイジョイ (大島で差入れ)おにぎり、チキン南蛮など
夕食 : かつおたたき、焼肉など
宮崎 宮之浦港 ~ 宮崎 油津港
日南市 油津港に無事到着  たくさんの方が出迎えてくれた

飫肥杉、チョロ舟を案内して頂いた

7月28日(火) 旅31日目

宮崎 油津~シーガイヤ 中潮/晴れ
風 : 南4m
波高 : 0.5m
出発地 : 宮崎 油津/大島
到着地 : 宮崎 シーガイヤ 冒険ビーチ

出発時刻: 5時55分
到着時刻: 11時45分
航海時間: 5時間50分
航海距離: 49Km
平均速度: 8.4Km/h
最高速度: 15.6Km/h

この航海で奄美まで一緒だった丸山さんの職場が、ここから50km先にある。せっかくなので、そこまで行こう。そんな訳で、シーガイヤまで足を伸ばすことにした。 屋久島で出迎えてくれたルミちゃんとミキちゃんが、どうした訳か、またまた登場! アキラとムラッキーは、陸上から帆走するサバニを撮影することになり、二人は奄美の終了から、また再びサバニに乗ることになる。多分密かにこれを狙っていたのだろうが、二人のカメラマンにとっても、都合が良かったのかも知れない。今回の航海はスタートから漕ぎの連続だった。心配性の私は、一日として気の休まるコースはなかった。と言っていい。だが最終日、50kmの距離を爽やかな風が吹き続け、航海中初めてと言っていい程、心穏やかな、快適なクルージングに恵まれた。
飫肥の空は、きっと私たちを歓迎してくれているに違いない。
航海最終日
目的地はシーガイヤ
冒険ビーチでもたくさんの人が出迎えてくれた


エバーブルー ウェブマガジン 40/52ページより 「サバニ航海2011」
  沖縄と宮崎は昔から海路で結ばれ深い繋がりを持っていた。 沖縄は琉球、日南は飫肥と呼ばれていた時代からそれぞれは密接に繋がっていた。 沖縄の海人は、この7~8メートル程の小さな木造船(サバニ)で、遠くは海外にまで渡ったことが知られている。その材料である杉は、弁甲材として全国的に知られた飫肥杉を使用するのが常だった。 ならば私たちもサバニの故郷である飫肥の地へ帆と漕ぎだけで、かの地に行こうではないか! 台風6号や時化、強い潮に捕まったりもしたが、無事たどり着けた。私たちのスタイルは、何かにチャレンジすることでも誰かにメッセージを伝えることでもなく、単純に仲間とサバニで旅を楽しむことにある。だから、報道機関などに情報を発信することもなかった。にも関らず、ゴールの油津港、シーガイヤには多くの思いがけない歓迎や心遣いに感激した。ここをゴールにしたことを改めて良かったと思っている。
私たちの最も特徴的なところは、伴走船を伴わず、支援を募らず、「サバニで旅を楽しむ」という最もシンプルなスタイル。 一見、危険な航海と思われるかもしれないが、何者にも縛られること無く、毎日目の前の海を見ている8人のクルーで全てが決定される。 それは昔から普通に行われていたとても安全な旅。目的地、宮崎にゴールしたことはもちろん、クルー全員怪我もなく笑顔で終えたことが最も価値あることだと思う。
最後に、航海中に立寄った島々の人達、日南市の皆さん、シーガイヤの皆さんからのたくさんのおもてなしにクルー一同、心から感謝します。
サバニ旅クルー一同
艇長   森 洋治
*本文「サバニ旅2011」は、宮崎フェニックス・シーガイヤ・リゾート 「MOVE IT ! MOMENTS」に、航海でクルーが使用した、クバ笠やエーク、Tシャツ等と共に展示されています。

「旅を終えて」

長い時化や台風によって島に足止めされつつも、何とか予定どおり、ひと月で終えることができた。振り返ってみれば、微妙な判断の連続だったような気がする。  出てはいけない時に出たり、出れる日に躊躇したり、日々その決断に迷う毎日だった。  当然ながら、出港すべきか否かが、航海の最も重要な要素だ。  これはいくら経験を積もうが、その決断に当たってのプレッシャーは、昔も今も変わらぬ最も重要にして難しいことなのかも知れない。
  一人の航海の場合、これほど悩まずに行けるのではないか?と思える瞬間もあったが皆がいればこそ、冷静な判断が出来た瞬間もあったはずだ。
航海中、いかにも楽しい日々をおくっている印象を持たれるだろうが、少なくとも私は緊張の連続で、とても旅を楽しむ余裕などなかった。 海を越えて港やビーチに着いた僅かな時間、つかの間の喜びに浸るも、直ぐに次へのアプローチが頭をもたげ、終始予報やコースの確認で携帯電話や海図から目を離せない時が出港まで続く。
  その隣で、底抜けに楽しむクルーを恨めしく思えたこともあった。だが、旅を終えた今、小心者の私こそ皆に励まされ、助けられて旅が続けられていたことに気付く。それぞれが何を成すべきか、自ら考え行動できるクルーだからこそ成り立った航海だった。
今回立ち寄った島の先々で、私は食事の準備や、もろもろの雑用から解放され、気持ちよく航海に専念できたのも、この数年のクルーの経験の賜物だったような気がする。
誰かに、この航海を聞かれる時、決まって伴走船の有無を聞かれる。
  「付けた事がない」と答えると、その反応は大きく違ってくる。 当然と言えば当然の反応だろうが、実際の航海は想像する以上に違った航海になると思う。
サバニでの航海を計画した時から伴走船のことは浮かんでこなかった。旅の目的は「島渡り」の移動手段をサバニで行う。というものだったから、伴走船を付ける。などというのは考えもしなかった。(当然ながら伴走船を付けるのを否定するものではないが)
そうなると、航海中常に「遭難」というプレッシャーから逃れることはできない。一方、伴走船を付けた瞬間から、そのリスクから開放される。天候、コース、潮、潮流、リスク回避、もろもろの準備を始め、その全てに「何かあったら助けてもらえる」という甘さが出るに違いない。
  準備から「死にたくない」が前提にあればこそ、慎重に真剣に、文字どおり「命がけ」で取り組める。 そして結果として、それが最も安全な航海に繋がるのだと思う。
  一瞬とて気の休める事のない旅、これこそが私にとっての航海であり、苦しい中にも何事にも変えられない価値ある魅力的な旅となるのだ。
 立ち寄った島々では、言い尽くせない多くの優しさに出会った。
  海を越えてくる航海者へ島の人たちの心使いは、今も昔も、もしかしたら変わっていないのかも知れない。飛行機やフェリーでは出会うことが出来ない、濃厚な島人との繋がりが持てるのも、サバニ旅の特徴的な面白さだ。 この数年のサバニ旅の経験から、島の人たちとのコンタクトも年を追う毎に洗練されてきて、殆ど例外なく歓迎される。
  それは、島に立ち寄る私たちの意識や態度も大きく関わっているような気がする。穏やかな島に、突然得体の知れない人たちが怪しい乗り物に乗って入って来る。 言わば、他人の敷地内に土足でドカドカと無断で入っていくようなものである。 島の人にとっては、警戒して当然だろう。
「私たちは決して怪しいものではございません」 「お邪魔します」 という心構えを、全身で発信しなければならない。 まずやることは、必ず低姿勢で港の許可を得る。 出会った島人には、誰彼なく爽やかに挨拶する。 使用するところは今以上に綺麗にする。 こうしたことが意識しなくとも自然と振舞える。これを繰り返すと、きっと悪い印象を持つ島人はいない筈だ。
  昨年の航海中、宮古島池間島に立ち寄った際、許可を得て港にキャンプを張った。そこは空き缶からタバコの吸殻などが散らばっていた。まずはその周辺を皆で綺麗に片付けた。次の日、海人が広い影がある場所を紹介してくれた。隣は食堂だったので、そこの女将さんは8人もの人たちが店の前でウロチョロされると営業妨害になる事をケゲンしていたが、数日の内に、いつの間にかクルーは厨房の中に入ってスタッフと化し、建物内にあるシャワーを使い、食堂が一段落すると、皆で食事を作って食べるようになっていった。その内、2階建ての一軒家も無償で提供してくれる人が現れ、私たちが帰る際は、別れを惜しみ涙まで流す濃厚な間柄になった。池間島に限らず、多くの島々で全く同じようなことが起る。私たちは、このように見知らぬ島でのコミニケーション能力が知らず知らずの内に身につき、旅の幸せのありようを会得していった。 一方、北海道ではシーカヤックは港の出入りが厳しく禁止されている。と聞いた。 地域性もあろうが、個人的な印象とことわった上で、初めにこうした港を利用したシーカヤッカーに責任の一端はないのだろうか?北海道も最初は、私たちが各島々で経験しているように物珍しさも手伝って歓迎された時期もあったと聞く。それが、いつの間にか出入り禁止にまでになったのは、どうした訳なのだろう?もし私たちのような対応をしていたなら、今のような状態になっていたのだろうか? と想像すると残念でならない。同じような旅を計画している人たちへ、更に後に続くであろう旅人たちのためにも他所の地に行く礼儀を、是非わきまえて欲しい。 こうした最低限のルールさえわきまえたら、苦労して渡ってきた人たちを歓迎し、きっと思いがけない出会いが待っている筈だ。 今年の航海は、近年のサバニ旅の集大成のような計画だった。旅を終えると、むくむくと自然と次の目標が出来ていた。ところが、今年最終目標を終えたことで、いつもの年にはない達成感に満たされ、次の目標物が見い出せないでいる。サバニの文化圏である琉球弧(与那国~トカラ以北)は、宮古島~沖縄本島間を除けば全て渡り終えた。(この間は法律の壁に阻まれ渡る事は出来ない。)近年、年を追うごとにハードルを上げ、サバニの可能性を拡げる。という意味合いが強い航海を行ってきたが、もし、これからもこの航海に参加したい人たちがいれば、今までの経験を活かし、原点に返って単純にサバニを使った島渡りを楽しむ。こともしてみたいとも思う。また、最近単舟でレースに出るようになって気付いたが、単舟での島渡りもそれほど無謀ではないことが分かってきた。私たちは当然のようにアウトリガーを付けたサバニで航海をしているが、サバニの本来の姿は単舟だ。沖縄の海人は、アウトリガーを選択しなかった。それは、その方が波に対して強く、より安全だったから、と今でも思っている。トカラでの経験から、更にその思いを強くした。風上側と言えども、アウトリガーは相当にプレッシャーを受けるし、あの時、船を軽くして単船の方が波に強いのではないかと、崩れ落ちる波を見ながら感じた。乗りこなす技術は相当な訓練を要すると思うが、波に対する強さは単船の方にやはり分があるのではなかろうか?
  これを真に理解するには、逃げる事の出来ない大海の大波を体で経験して、初めて確信が持てそうな気がする。どこまで体が持つのか怪しいところだが、近い将来是非チャレンジしてみたい。「サバニは波に強い」と、よく言われる。ある時、サバニで奄美大島まで行った話をすると、「サバニなら行けるよ」と、お年寄りが事もなげに言った。それほどサバニは波に強い。という逸話だが、サバニレースに参加しているチームでさえ、口では言いながら本心で、そう思っている人は果たして、どれほどいるのだろうか?(そういう私自身も、実はまだ良く分かっていないのだが、)
与那国島からの航海を計画した時、多くはビックリするか、中には無謀という意見もあった。サバニは基本的なポテンシャルが高く、タイミングを測り、自分たちの能力を知り、その範囲を超えない限り、超えられない海峡はない。と私は思う。周辺には程よい距離で島々が点在し、サバニを使った航海には、これほど良い環境は無いと思える。(だからこそサバニがこの地に生まれたのだろうが、)
 サバニレースに参加しているチームから、是非こうした島渡りに一歩を踏み出してみたらどうだろう。ここでもお分かり頂けると思うが、基本的なスキルさえあれば、やっている事はそんな難しいことではない。レースだけのためにサバニを使うのは如何にも惜しい気がする。




終わり
森洋治
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